日本国憲法は、日本国民の法の下での平等を定めています。だとすれば、金持ちからできるだけいっぱい税金を取ろうという所得税の累進課税はどう考えても憲法違反です。こうした事情はアメリカでも同じで、共和党を中心に、「所得税の累進課税は国民の平等に反するから、全国民に一律の所得税を課すフラット税率にすべきだ」という主張が生まれ、徐々に支持者を増やしてきています。
しかし、仮に所得税のフラット税率が実現したとしても、やはり問題は残ります。税率10%の場合、課税所得100万円の人が支払う税金は10万円、課税所得1,000万円なら税額は100万円です。しかし、100万円の税金を払った人が、10万円しか払わなかった人に比べて10倍の行政サービスを受けているかというと、そんなことはありません。いくら税金を払おうとも、行政から得られるサービスに違いはないからです。となると、フラット税率もまた憲法違反になってしまいます。
こうして、さらに過激な経済学者などから、「所得税はやめて、20歳以上65歳以下の全国民から1人いくらで税金を徴収する人頭税にすべきだ」という議論が出てきます。
日本国の国税収入は約50兆円ですから、所得税納税人口約6,000万人で割れば1人当たりの人頭税は年間約80万円。高齢者と子どもを除いた生産年齢人口約9,000万人で割れば1人当たり年間約55万円、夫婦ふたりで納税額は年間110万円になる、というわけです。たしかに、これなら平等です。みんながこれだけの税金を支払えば、法人税、消費税から酒税・タバコ税、自動車税まで、その他のすべての国税が不要になるはずですから、一考の価値はあるでしょう。
実は、このように突き詰めていくと、現在の税制は矛盾だらけだということに気がつきます。
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たとえば、税制の基本原則に「二重課税の禁止」というのがあります。ある人が100万円の所得を得て、それに対して所定の税金(たとえば10万円)を納めたのなら、税引後利益である残りの90万円にふたたび課税してはならない、という原則で、刑法における「二重処罰の禁止」と同様に、税制の根幹をなしています。
ところが実態を見ると、禁止のはずの二重課税があちこちで横行しています。
たとえば相続税は、所得税を支払った後の税引後利益に対し、本人が死んだというだけで、さらに課税しようとする制度です。これは明らかに二重課税禁止の原則に反していますから、アメリカではやはり共和党議員を中心に、「相続税(遺産税)廃止」の要求が出ています。
消費税にしても同様で、企業が税引前利益でモノを買っても、個人が税引後利益でモノを買っても、同じ5%の消費税が課せられるのは、どう考えても理屈に合いません。ということは、所得税か消費税のいずれかを廃止しなくてはなりません。
一般に税金は、1)所得税2)消費税3)資産税に分けられるとされています。しかしこの3つは並列的に共存するわけではなく、所得税を支払った後でも人は消費しなければ生きていけませんし、将来のために貯蓄したり、家を買ったりすれば、今度は資産税がかかってきます。このように、「二重課税の原則禁止」などと言いながらも、税制は二重課税するほかないような仕組みになっているわけです。
さらに話を複雑にするのは、個人と法人に関する税制上の問題です。
誰でも知っているように、企業の純利益というのは、税引前利益(売上−経費)から法人税を支払った残りの税引後利益です。ところが、企業がこの税引後利益を株主に配当すると、株主側に配当課税がかかります。一方、配当せずに資本の準備金・積立金に組入れれば税金はかかりませんから、これは無茶苦茶な話です。こうした「配当の二重課税問題」は税務当局も認識していて、そのため配当控除などの軽減措置があるわけですが、それ以前に配当に課税すること自体が間違っているのです。
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さらには、「そもそも法人税とは何なのか」という難問もあります(ここでは「法人論」を展開するつもりはないので、「共通 の目的をもつ個人の集合体を、法律上、個人と同様に見なしたもの」という程度の前提で話をします)。
たとえば、どんなにお金を儲けたとしても、法人(企業)はそのお金を消費することができません。法人がキャバクラで若い女の子と遊んだり、料亭で芸者遊びをするわけではないからです。それが仮に会社の経費で行なわれていたとしても、その経費は法人の構成員(社長や接待担当の営業部員)に支払われ、キャバクラや料亭でそのお金を消費するのはあくまでも彼ら一人ひとりなわけです。そう考えると、「会社が儲けたお金は、最終的には、すべて何らかのかたちで個人に支払われるのだから、法人の所得に課税する必要はないじゃないか」という議論が出てきます。
アメリカでは、出資者が無限責任を負うパートナーシップ(日本でいう合資会社)においては、会社はたんなる便宜上の存在と考えられて法人税が免除され、その利益が出資者個人に支払われた時点で、所得税として課税されます。その一方で、出資者が有限責任の株式会社(有限会社)では、日本と同様に、法人税と配当課税の二重課税が発生しています。
しかし、1990年代にLLC(Limited Liability Company)という、パートナーシップと株式会社の中間のような会社組織が認可されるようになると、企業としての存続期間を最大で30年程度に制限するかわりに、出資者は有限責任のメリットを享受できるうえに、なおかつ会社はたんなるツール(導管)と見なされて法人税を課されないということが可能になりました。これは、出資者(株主)にとっても経営者にとっても非常に有利な会社形態なので、今後、このLLC型の企業が主流になってくれば、法人税はその存在意義を失うことになるでしょう。
このように見てくると、現在の税制に合理的な根拠がほんとうにあるのか、いちど真剣に考えてみなければならないということに気づきます。
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たとえば、所得税や法人税など、他人の所得(利益)に対して課税しようとすると、必然的に、税務署のような監視機関が必要になります。しかし、よくよく考えてみれば、どの不動産をいくらで買ったとか、どこの銀行にいくら預金してあるとか、誰にいくら送金したとか、そうした
きわめて個人的な事柄をはたして国家が知ることは許されるのか、
という根源的な問いが浮上してきます。
たとえば、あなたが恋人と街を歩いていたときに、いきなり国家公務員がつかつかと近づいてきて、「そのブランドもののバッグはどこの店でいくらで買ったのか?」とか、「彼女に毎月、いくらの小遣いを渡してるのか?」などと聞かれたら、どんなに温厚従順な人だって怒り狂うでしょう。税務署員が私たちに無断で銀行口座や証券取引口座の明細を調べたり、呼びもしないのに税務調査にやってくるというのも、要するに、同じことをされているわけです。
ここから、「税金の徴収を目的に、国家が個人の収入や資産状況について情報を収集するのはプライバシーの侵害である」という、非常に説得力にある主張が登場してきます。
税務署の存在そのものが、人権の侵害であり、憲法違反であり、国家による犯罪
だというわけです。もちろん、国民一人ひとりに番号をつけて所得や資産を国家が把握できるようにしようという「国民総背番号制」などトンデモありません。
しかし、国家を運営していくためには、税金が必要です。では、どうすればいいのでしょう?
人頭税もいいですが、もっと簡単な方法は、「所得税も相続税も法人税も廃止して、消費税に一本化すればいい」というものでしょう。もちろん消費税にしても、代行徴収する企業への税務当局のチェックは必要でしょう。しかし、所得税廃止によって、個人資産への国家による暴力的な介入がなくなるだけでも、社会はずいぶん明るくなるはずです。
ついでに年金制度や健康保険制度も廃止すれば、社会保険庁や厚生年金基金、組合健保や全国各地の国民健康保険連合会などもまとめて不要になりますから、会社も行政組織もずっとすっきりして、さらに明るい社会になるでしょう。
私たち日本国民は、生まれてこの方、脱税は悪であると頭に叩き込まれて生きてきました。マスコミでは、脱税を摘発する東京国税局査察課(マルサ)が正義のヒーローにように扱われています。しかし、国家の運営に必要な税金を所得税として納税しなければならない、という合理的な根拠があるわけではないのです。だとしたら、彼らがやっていることはいったい何なのでしょうか?
それはたぶん、現在の、
矛盾だらけの税制を維持するためのパフォーマンス
なのです。なぜなら、所得税が廃止されてしまえば、国税庁も、税務署も、全国の税理士も、もちろんマルサの捜査官たちも、そのほとんどが無用の長物となり、失業してしまうからです。彼らは国民が、「所得税じゃなくても、納税する方法はいくらでもあるよね」という単純な事実に気づいたり、「なんで税務署員が、私の銀行口座を勝手に調べてるの?」という当たり前の疑問を抱いたりすることを、何よりも恐れているのです。
『ゴミ投資家のための人生設計入門[借金編]』より
2001年6月25日
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